2014年度トルコ調査報告会プログラム
2015年2月11日(水・祝日)
- 13:00 挨拶
- 阿部 知之 (中近東文化センター理事長)
- 13:10 アナトリア考古学研究所の活動(2014年)
- 大村 幸弘 (中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)
- 13:45 第6次ビュクリュカレ発掘調査
- 松村 公仁 (中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)
- 14:30 第29次カマン・カレホユック発掘調査
- 大村 幸弘 (中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)
- 15:15 休憩
- 15:30 第6次ヤッスホユック発掘調査
- 大村 正子 (中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)
- 司会:吉田 大輔 (中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)
- 16:30 懇親会
2014年アナトリア考古学研究所の活動
アナトリア考古学研究所は、2014年度も3遺跡の発掘調査そして遺跡踏査を中心とする研究活動を行いました。それと共に、考古学フィールドコース、 植物考古学フィールドコース、また今年度は保存修復に重点を置いた博物館学フィールドコース等を開催し、多くのトルコ、欧米、日本の学生を受け入れ、発掘現場に密着した考古学及び関連分野のトレーニングを継続いたしました。また、カマン・カレホユック考古学博物館と協力し、発掘調査で得られた新知見の公開、文化遺産保存の必要性についての啓蒙活動を続けています。
第6次ビュクリュカレ発掘調査
ビュクリュカレは、クズルウルマック(赤い河)の西岸に位置する紀元前二千年紀の都市遺跡です。今年の調査では、昨年ヒッタイト時代の粘土板文書が出土した火災層の発掘を続け、ヒッタイト帝国時代の調査を推し進めようとしました。残念ながらこの火災層は鉄器時代の堀込み式住居により発掘区の大部分が破壊されていましたが、一方で新たなヒッタイト時代文化層の存在が確認されました。今年度の調査で最も重要な遺物は、ヒッタイト王の印が押された印影です。「大王タバルナの印、これを冒すもの死すなり」という銘文が入っており、この古代都市がヒッタイト王国と直結していたことを示すものです。
第29次カマン・カレホユック発掘調査
カマン・カレホユックは、トルコ共和国の首都アンカラの南東、直線距離にして約100kmにあり、アンカラとカイセリを結ぶ旧街道の南側に位置する遺跡です。遺跡は径280m、高さ16mで、アナトリアでは中規模の遺丘です。この遺跡の発掘調査の主目的は「文化編年」を組み立てることで、これまで前3千年紀後半の文化層まで掘り下げましたが、これからまだ少なくとも5千年以上の文化を掘り下げる必要があります。
第6次ヤッスホユック発掘調査
ヤッスホユック は、カマン・カレホユックから約25km東に位置し、南北500m、東西625m、高さ13mの比較的大きな遺丘です。遺丘中央部(Area 1)では第Ⅱ層: 前期青銅器時代末の王宮址の中央プランが明らかになってきております。この王宮址をさらに広い範囲で確認するため、東西に発掘区を拡げ調査を進めています。また、遺丘のより確かな編年を得るため、遺丘南東端(Area 2)において発掘を開始しました。いずれの発掘区でも今シーズンは第Ⅰ層: 鉄器時代の調査が中心となりました。レーダーによる地中探査では、遺丘の北西裾野で2013年に検出した遺構群がさらに東方へ広がっていることを確認し、下の町が存在する可能性がさらに高くなりました。
クルシェヒル県に於ける遺跡踏査(2014年)
遺跡踏査の目的は、カマン・カレホユックの発掘調査で確認された幾つもの文化が、中央アナトリアでどのような文化圏を形成しているのかを明らかにすることです。1986年以来、中央アナトリアで1500を超す遺跡を踏査しましたが、まだまだ未踏査の遺跡が存在すると思われます。また、既に踏査した遺跡も、10年、20年を経ると、耕作や盗掘、土地開発等によりその状況は大きく変化しています。2010年以来、我々は新しい遺跡と共に、既に踏査した遺跡の再調査も行っています。2014年度の調査はカマンの北東約60キロに位置するクルシェヒル県のチチェッキダウ郡で行いましたが、前期青銅器時代の文化の広がりが鮮明になりつつあります。