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カマン・カレホユック
大村 幸弘 アナトリア考古学研究所長
遺跡の概要
カマン・カレホユック遺跡(2008年度)
カマン・カレホユック遺跡はトルコ共和国クルシェヒル県カマン郡チャウルカン村に位置し、首都アンカラから南東約100 km、カマン町から東約3 km、国道260号線の直ぐ南側に位置しています。直径280 m、高さ16 mのアナトリアでは中規模の丘状遺跡です。
1985年に予備調査を行った後、1986年、三笠宮崇仁親王殿下に最初の鍬入れをして頂き、以後、学術発掘調査を継続しています。
今日までの発掘調査では、4文化層(オスマン/ビザンチン、鉄器時代、後期・中期青銅器時代、前期青銅器時代)が確認されています。銅石器時代、新石器時代の遺物も確認されており、それらの文化の存在も考えられています。
- 第I層 オスマン時代 (15th-17th A.D.)
- 第II層 鉄器時代 (12th-4th B.C.)
- 第III層 中・後期青銅器時代 (20th-12th B.C.)
- 第IV層 前期青銅器時代後半 (3rd millennium B.C.)
カマン・カレホユック遺跡の発掘調査は、これまで『文化編年の再構築』を目的の一つとして進められてきましたが、その調査によってアナトリアの古代史における幾つかのポイントに、新しい見解を提示してきています。その第1は、ヒッタイト帝国崩壊後の前12世紀から前8世紀にかけて、従来『暗黒時代』と呼ばれ、取り立てて文化と呼べるものが無いかのごとく扱われていましたが、カマン・カレホユック第IId層の調査から、一連の文化の展開が見られることが明確になりました。また、紀元前2千年紀の層では、アッシリア商業植民地時代、ヒッタイト古王国時代、ヒッタイト帝国時代の連続を明確に辿ることができますし、鉄器の開始時期にも新たなる見解を提起する資料が次々出土してきています。